２０２６年選句コメント １月
■土生 依子選‐１
茶の花や密かに辿る親の道 北村 典子
親と同じ年になって、気付くことがある。無意識のうちに親の辿った道を行く自分。
七五三大人六人子は一人 後藤 悠子
少子化の時代、両親と父方母方の祖父母だろうか。数詞が想像力をかき立てる。
蘊蓄は軽き荷物や秋遍路 小林 茂美
遍路には、弘法大師様が傍にいてさえ下されば、蘊蓄などむしろ不要。正に同行二人。
身の内を日暮がとほる冬夕焼 小島 七重
寂しいと言わずに身体感覚としてそれを上手く表現した。鮮やかで幻想的な一句。
Ｙ字路に怪談好きの雪女 澤井 誠一
Ｙ字路は道が二つに分れる所。そこに怪談好きの雪女を立たたしめたシュールな一句。
秋深む古きレコード針おとす 市川 良弘
今や針を落して聞くレコードは昭和の遺物に近いが、その瞬間の緊張感はまだ記憶に残っている。深まる秋の静けさも伝わってくる。
黄落やカフェにゴッホの複製画 林 まり子
ゴッホの複製画が飾ってあるカフェの窓から見ている黄落。絵も葉も独特な黄色の世界。
いい人で終る人生温め酒 細貝 昭吾
頓に宮沢賢治の詩を思い出した。人が見ようが見まいが淡々と伸び花を咲かせる植物。
うす暗き部屋に帰りて秋ともし 原田 豊子
風鐸は寺や塔の四隅に吊り下がる青銅製の風鈴。静まり返った秋の寺の良夜である。
おしやべりとみかん剥く香の六畳間 大江かずこ
人が迷わないように立てる道標。団栗を並べて貼り付けた看板が人の心を和らげる。
■土生 依子選‐２
オーロラはかくもありなむ寒夕焼 竹内 弘美
寒夕焼の幻想的な赤色を見て、オーロラをイメージ。「かくもありなむ」は、きっとこういうものに違いないという意味だが、文語の効果で引き締まった一句になった。
秋惜しむ風色変はるデッキカフェ 林 恵子
夏は賑わっていた湖に面したデッキカフェを想像したのだが、秋も終り頃になると肌を刺すような風に変わってきた。季節のうつろいを風の微妙な変化からとらえた一句。
里の景みるみる刈田大型機 水口 博恭
昔は手で稲刈りをしていた里にも、大型の稲刈機が導入された。確かに効率は上がるのだが、一遍に変わってしまう風景に、少し寂しさを感じているようだ。
梨剥くや今日の失言思ひつつ 大橋 千景
後で考えれば、言わなければ良かったことを、うっかり口が滑って言ってしまう後悔は、誰にも一度や二度はありそうだ。梨は、「無し」。帳消しにしてしまいたい思い。
小さい秋小さいままで終はりけり 小西 雄子
唱歌に「小さい秋見つけた」という歌詞があるが、今年の秋はあっという間に終わってしまった。このままいくと心地良い春と秋が無くなって二季になりそうだ。
悪役も善人の顔菊人形 熊谷 うめ
どんな人を作るにしろ、材料は菊で作るからこその菊人形だ。悪役をモデルにして作っても、やはりどこかに善人の優しさが出てしまうのだろう。発想が面白い。
食堂の明り一点夜学生 黒岩 健
働きながら学校へ行く夜学生は、大変な努力が必要だろう。しかし今は教室の明りも消え、食堂の明りだけが一つ点っている。彼らに安息の時間が来たのだろうと安堵。
上々の新米の出来先神へ 武藤佐枝子
お米の値段が上がって、それが庶民の大きな話題になっている。しかしそんな中でも先ず神へささげる心が清々しい。自然をもつかさどる神の前に、謙虚に祈り感謝。
冬の夜の町のあかりを連れ帰る 吉澤 弘子
冬の夜は寒さも募り、殊の外寂しい。町にはすでに帰宅している家々のあかりが点っているのだ。その明りを心に点して、家路へと急ぐ作者。「連れ帰る」がほの温かい。
野良仕事片付けきりて秋惜しむ 渡邉 多
冬になる前に片づけておかねばならぬ仕事が沢山あったのだろう。終わるまでは秋を惜しむ心の余裕もなかったが、一段落している。今、しみじみ秋の終りを味わっている。
水銀灯のもとのかそけき虫のこゑ 加藤 れん
一日の勤めを終え、帰路を急いでいる時だろうか。水銀灯に照らし出された草むらから虫の声が聞こえて来た。暫し耳を傾けている。水銀灯と言ったことで景が見える。
金印の島の波響や天高し 金田 英子
「金印」は江戸時代に、博多湾に浮かぶ志賀島で発見されたもので「漢」「委奴」「国王」の五文字が刻まれている。壮大な歴史の浪漫がある美しい一句。波響は造語。
■土生 依子選‐３
独酌やソノシートに聴く憂国忌 おおもりじゅん子
ソノシートは薄くて柔らかいビニール製のレコード盤のこと。久しぶりに聞いた昭和の遺物のような言葉だ。憂国忌なので、ふと日本の行方を案ずる独酌となったか。
地獄の門坐して長考叙事の秋 大木 達也
「地獄の門」はロダンの代表的な彫刻だが、そこに座しているのは作者か。それとも「考える人」なのか。解釈が難しい一句だが『神曲』という叙事詩から想を得た像と句。
短日の棚に残さる予約本 峯岸 淡景
予約してまで読みたい本があり本屋に向かった。売る本とは別の棚に置かれた本は、あたかも読んでくれる人を待つかの様だった。短日の季語がはやる気持ちを感じさせる。
夕紅葉今日の一日を塗り替ふる 前沢 博子
まさに今が紅葉の見頃で、テレビでも各地の紅葉を放映している。同じ場所でも時間帯によっていろんな表情を見せてくれる。下五の「塗り替ふる」が一日の安堵感も表現。
神無きと思ふ日多しそぞろ寒 外川 真澄
地球のあちこちで戦争が行われ、罪なき子供が飢えたり亡くなったりしている。一日も早く休戦してほしいのだが、何も出来ない心の震え。せめて全能の神ならと思うが…。
新藁の木槌打つ音母故郷 井手和保里
新藁はその年に刈り取って乾燥させたばかりの藁で、薄青く爽やかな香りがするとか。木槌を打つ音と共に、働き者のお母様とその故郷を懐かしく思い出しているのだろう。
火伏神祀る信濃は柿日和 鈴木 芳子
火伏神とは、火災から人々を守る神様で、特に京都の愛宕神社が有名だが、全国に広く信仰されているとか。柿の実るころは空気が乾燥して火事が多くなるので特に注意だ。
風邪の神火花を散らす咳と咳 髙橋 靜江
風邪の神とは、流行病の原因を疫病神のせいだと考える所から生まれた季語。咳が出だすと、その咳がまた咳を呼ぶ如く止まらなくなって苦しい。正に火花を散らすようだ。
棚田道天まで続く彼岸花 多田みち子
作業をするには一苦労の棚田だが、美しく日本の原風景の様でもある。その棚田の畦道を縁取りながら、彼岸花が高い所迄咲いている。その名の如く彼岸に届きそうな迄。
茶の花やしんと少女の下睫毛 練木 智美
茶の花はこころもち下向きに咲く控えめな印象の花だ。その花の本意をしっかり捉えている。控えめながらも内に秘めた心情を少女の下睫毛に語らせている。
