選句コメント １２月
■土生 依子選‐１
・挨拶に木犀の香を言ふあした 原 とく江
近隣の方との朝の挨拶だろうか。助詞の使い方が良く、卑近な内容を表現で生かした。
・塩飴より道づれとなる秋遍路 横尾 紀子
秋遍路で始めて出逢った人とのご縁を塩飴が繋ぐ働きをしてくれた。塩飴なのが乙でいい。
・長き夜の軽く押したるぼんのくぼ 林 まり子
夜遅くまで机上で読みものをしていたか。多少の疲れはあるが充実感のある一日の終り。
・秋雨や使はぬままの黄楊の櫛 山下 茉莉
お母様かお祖母様のたぶん遺品の櫛なのだろう。秋雨のしっとり降る日は思い出が蘇る。
・自作せる安眠体操夜長き 中村トセ子
長き夜を安眠するにはそれなりの準備が必要だ。自作の体操でご自身の体とむき合う。
・抱くやうに捧げるやうに買ふ新米 髙橋 陽子
お米の値段が高騰する中新米を買う喜びは例年にも増している。大切に持ち帰りたい。
・万博へ寄り道しゐる神の留守 岡 美代子
始まるまでは少し不安だった万博もどうやら成功裡に終ったようだ。神の寄り道は楽しい。
・褒められも怒られもせず芦の花 伊藤千恵子
頓に宮沢賢治の詩を思い出した。人が見ようが見まいが淡々と伸び花を咲かせる植物。
・風鐸の影落としけり月の道 高山 素子
風鐸は寺や塔の四隅に吊り下がる青銅製の風鈴。静まり返った秋の寺の良夜である。
・団栗が矢印作る道標 村山 百夏
人が迷わないように立てる道標。団栗を並べて貼り付けた看板が人の心を和らげる。
■土生 依子選‐２
蘊蓄の舌で新酒が喋りだす 川嶋 克弘
蘊蓄は知識を深く積み貯えていること、もしくはその知識を言うが、一般の人にはどうでも良いことを聞かされるという意味でも使う言葉。さてどちらだったろうか。
捨て切れぬ帰属願望雁わたる 中瀨 由利
秋になると、雁は竿になり鉤になりして北へ帰って行く。時折遅れている一羽がいるが、大方はその群れから離れないように必死で飛んで行くのだ。人間にもある帰属願望。
新米の届きしよりの長電話 熊谷 うめ
今年はお米の値が上がり、新米が出来れば少し値も下がるかと買い控えしていたところ、誰かが送ってくれた。
得てして報告に終わりがちな内容を着地の巧さが救った。
帆を上げし君に全天鰯雲 勝山美代香
ヨットの帆を上げ海上に今まさにでようとしているのだろうか。君はどんな人かはわからず、甘くなりがちな言葉だが、全天の鰯雲で爽やかな青春性の句となった。
あの雲を吹き飛ばしたし居待月 石川よね子
今年は前日には綺麗な月を仰げたが、中秋の名月は見られなかった。あの雲さえなければと切実に願う気持ちがストレートに出ている一句。長い時間待ってみたことだろう。
何もせず糸瓜棚だけ見て過ごす 安保 郁子
この現代社会は、機械化も進み便利になったはずだが、何故か人はバタバタし、あくせく生活しているようだ。何もせずゆっくり暮らせる日があるのは、大事な事だと思う。
秋麗雇用延長終へにけり 安藤 修一
生涯現役とか定年延長などが話題になる現代である。作者は、定年後も引き続き雇用され、二回目の退職を迎えた。その安堵感がそのまま一句になった。お疲れ様。
ひと癖を愛す人なり牛蒡炊く 吉川 早矢
人にはなくて七癖があると言われているが、その中の一つをむしろその人の長所として捉えている。泥の中から掘り出した無骨な牛蒡だが、炊けば美味しい味が出るように。
砂時計三分間の秋思かな 宮脇美沙子
さらさらと音もたてずに落ちて行く砂時計は、時間というものを見える形にしてくれる。三分は短いようで、案外何かが出来る時間だ。人生の秋に思いを馳せることも。
旧よりも新札多し秋刀魚買ふ 山岸 康子
新札が発行されてからだいぶ時間が過ぎた。確かにお釣りをもらうのも、お財布の中も新札がほとんどだ。身近な庶民の生活と秋刀魚は切っても切れない卑近な関係である。
女子会のいつしか聞こえぬばつたんこ 渡邉 多
少し高級な料亭で女子会が行われたか。始めは庭のばったんこの風情などが話題になった。しかし盛り上がるにつれその音も遠くに消えた。女性たちの明るい声が聞こえる。
秋草や手折りてひとの花となる 黒岩 健
大花野にさりげなく育っている秋草には、よく見ると小さな花が咲いている。誰かが摘んで誰かに贈った秋草はその人の傍らで優しく咲いて、心の慰めとなっていくのだ。
■土生 依子選‐３
空港の長き通路や片時雨 吉川美智子
筆者も母に逢うためによく羽田空港を利用したが、搭乗口までの距離の遠い事。動く歩道が作られている。片時雨は片方だけに降る雨。旅先の晴れを信じたい。
終活のノートに余白ちちろ鳴く 望月 功子
同じくらいの年齢の方の急逝に出合うと、そろそろ本気で終活しなればと思い、終活ノートなどを買うのだが中々筆が進まない。暫くはちちろの鳴き声を聞いていよう。
焼き鮎の確かに香る指の腹 平本 牛生
鮎は香魚とも書き香りに特徴があるのだが、食べる時少し手を使ったか。指にその匂いが残っている。指の腹とまで丁寧に表現したことで臨場感のある一句となった。
爽やかに「ごめん」と言へるひとが好き 富田 町子
言わないで済めば言わない方がいいお詫びの言葉だが、得てして人間は間違いをするものだ。そんな時爽やかに「ごめん」と言える素直さは素敵。そういう人でいたいものだ。
栗御飯今日の大食ひゆるされよ 川村 尚子
栗ご飯は美味しいので、ついお替りをしてしまいがち。
腹八分目というのに限界まで食べてしまったか。しかし許しを請うところに何とも言えぬ慎ましさがあっていい。
セザンヌの林檎額より一つ落つ 大木 達也
一般的に絵の中の季語は季語としての力が無くなると言われているが、発想の面白さに惹かれた。美味しそうな林檎なのだろう。転がる先を目で追いかけたくなるようだ。
指相撲番付なしの秋の場所 佐藤 亘
この秋場所は横綱同士の決勝戦もあって大いに盛り上がった。番付表が何度も画面に出たが、指相撲にはそれがない。親が子に負けることも暫しあり、盛り上がって楽しい。
桃剥いて指輪くるりと直しけり 練木 智美
桃は手でするりと剥けることもあるが、汁がいっぱい手についてしまう。昨今少し痩せたのか。その際廻ってしまった指輪を直した。何でもないことを詩にする力がある。
マンションの五階にも居し猫じやらし 前沢 博子
売地や電信柱のふもとなど、どこにでもある猫じゃらしだが、五階のベランダのプランターの中に発見したのだろうか。ちょっとした驚き。本物の猫も飼っているかも。
曼珠沙華群れれば深む昼の闇 外川 真澄
俳句表現のコツをよく心得ている作者。赤い花なのにどこかに翳りのある曼珠沙華の特徴をきちんと捉えている。また昼なのに暗い闇という少しの違和感も表現し切れた。
