選句コメント ６月
■土生 依子選‐１
・春眠の中に宿題置いて来し 大江かずこ
「春眠暁を覚えず」と気持ちが良くつい寝過ごしてしまったか。あっけらかんとしたゆとり。
・目玉焼き流るる黄味の春近し 内野 仁
目玉焼は固まり過ぎない方が美味しい。黄味の流れに命の動き出す春の息吹を感受。
・猫のため細目に開ける春障子 小林 茂美
猫が勝手に入って来られるようにしておく配慮が優しい。明るい春日に猫も目も細めて。
・解く帯の仄とぬくもり花の宵 上田 千鶴
昼間美しい桜を見た興奮がまだ覚めず、体に少し熱が残っている。けだるい花疲れ。
・春の日や動かぬ時計並びをり 𠮷成征一郎
「春の海ひねもすのたりのたりかな」という句があるが、動くべきものが動かない長閑な春。
・船倉に眠るバナナの回帰線 澤井 誠一
回帰線を越えて船で輸入されたバナナだろうか。一時保管されている。船倉が詩的。
・桜湯や初宮参りの待合所 村山 百夏
桜湯といっただけで、その場の心遣いや赤子のほんのりした可愛らしさが想像できる。
・夏近し自転車サドル引き上げぬ 市川 良弘
子供の成長の早さを喜んでいると解釈した。夏に向い益々元気に活動の場を広げそう。
・化身して花筏漕ぐ白き鯉 中村トセ子
化身とは神仏などが姿を変えてこの世に現れること。白い鯉はまさにそんな感じがする。
・静けさや笹に雪降る音しきり 小林ひろこ
日常ふと感じる間合いに桜の儚さを重ねている感性が斬新。ふと窓外に目をやった。
■土生 依子選‐２
のぼさんの卓の切欠き養花天 米林 ひろ
鶯谷にある子規庵を訪ねると、切欠きの文机が置いてあり、病気をおして短歌や俳句の革新に努めた姿が偲ばれる。
養花天の如く、子規は後の世に偉大な業績を残した。
ぷよぷよのしをれがやさしゴム風船 勝山美代香
お祭りや商店街などで貰った紐付きの風船が昨夜は元気よく天井に浮かんでいたが、翌朝は皺くちゃになり床に落ちてしまう。それを哀れと思わずやさしと捉えたのがいい。
蜃気楼時には神も戯れる 安保 郁子
蜃気楼は実際にないものがあるように見える現象だ。神もまた目には見えないが、完全無欠な神ではなく人間味あふれる神が存在したら、近づき易いかもしれないですね。
ままごとの配り終へたる目借時 加藤 れん
目借時とは春、蛙が鳴くころのすぐ眠くなる時期をいう季語。ままごと遊びに夢中だった子も配膳を済ませると、少々疲れたのか、うとうとする可愛い様子が想像できる。
妻根分け夫は洗車の昼下がり 吉川 早矢
共稼ぎの比較的若い夫婦の日曜の午後。其々に夢中になれるものがあっていい。お互い干渉し過ぎず、しかし庭先に一緒にいる感じが微笑ましい。夫婦の大事な距離感。
病室の時計進まず日永かな 石川よね子
お見舞いの場面と解釈したが、お見舞いほど配慮の必要な行為はない。どんな話をすればよいか、どんな慰めの言葉が必要か。心が痛むばかりだ。そんな時時間は進まない。
彼岸潮泣く子あやして母となる 大橋 千景
彼岸潮とは春分や秋分の頃の大潮の潮汐。泣く子には勝てないと言うが、月と太陽が影響し合って、潮汐を生むように、親も子に育てられ、命のリレーが始まるのだ。
春愁や思考の森をさまよへり 黄瀬 早苗
春愁とは、春の日に、何となく気が塞いで物憂くなることを言うので、まさにさまよっている感覚である。森は出口が見つけにくいところだ。思考の回路も複雑で多岐だ。
啓蟄の街に湧き出すドーパミン 林 まり子
ドーパミンは神経伝達物質で、やる気や幸福感が得られるだけでなく、色々な生命活動に寄与するものらしい。少し暖かくなって虫も活動を始める頃、人間も元気が出る。
泥運び修理完成つばくらめ 水口 博恭
燕の巣は人間にとって悪い虫を食べてくれるので「幸運の象徴」と言われ、古巣は残しておくべきだそうだ。その古巣の修理を見て作者はエールを送っている。お疲れ様と。
じやんけんは何時もげんこつ睦五郎 富樫 久江
じゃんけんをする時、人により案外最初に出しがちなもんが決まっていることがある。癖を読み取ることも勝利の こつか。最初のグーは睦五郎の飛び出す頭のようだ。
遠足や先頭競ふ子遅るる子 林 恵子
子供にとって一番うれしい学校行事か。燥ぐ声が聞こえて来そう。成長期は体力的な個人差や性格の違いもあって、子供は様々だ。大方教師は先頭と末尾で子らを守っている。
■土生 依子選‐３
菊根分姉妹何かと競ひけり 熊谷 うめ
丁度朝ドラで兄弟の話ではあるが、弟にジェラシーを感じている場面を放映していた。同じ血故に競ってしまうことはよくあることだ。季語の配合が面白く納得出来る。
ガス灯の滲んでゐたり朧月 安齋 行夫
ガス灯と聞くと明治の文明開化の頃を何故か思い起こしたが、現代なら差し当たって小樽運河の辺りの景色が目に浮かんだ。朧月が更に優しくその景を包んでいる。
芹を食む苦きかの日のわすれもの 中瀨 由利
谷川俊太郎の「かなしみ」という詩を思い出した。清流に育つほろ苦い芹を食べながら、地球に置き去りにされたような青春期の感傷的な孤独を味わっている。
座禅草茂みの中で悟りけり 中村 義英
山間の木に囲まれた清流に育つ座禅草。尾瀬をイメージしたが、座禅草はまさに座禅をしているような恰好をしている。それを見て作者も何か悟るものがあったかもしれない。
法堂の涅槃図の猫風に居る 金田 英子
涅槃図には猫が居ないのが一般的である。しかし東福寺の涅槃図には猫が居て、きっと清々しく描かれているのだろう。風に居るという表現が爽やかでいい。
畦叩く鱗散らすや乗込み鮒 大木 達也
乗込み鮒とは、普段は広大な湖の中に暮らしている鮒が産卵のために湖岸沿いの農業用水路に遡上してくる現象だそうだ。鮒も生きるのに必死の抵抗をしている。
縄文の土器に盛りたい豆ごはん おおもりじゅん子
豆ごはんはなぜか素朴で土俗的な感じがする。縄文の人は食べてはいなかっただろうが、あの縄目の付いた素朴な器は豆御飯をよそうのに最適だ。美味しさが増しそうだ。
花冷の心細さやミルクティー 髙橋 靜江
折角綺麗に桜が咲いたのに、また季節が戻ってしまいそうな花冷えは本当に心細い。温かく優しい色のミルクティーを注いだ器を手で包んで、我が身を慰めている。
桜狩都電はレトロに華やかに 前沢 博子
最近は路面電車も少なくなったが、路面にある停留所も出発の時鳴らす鐘もレトロで懐かしい。たぶん飛鳥山への桜狩と思われるが、残してほしいものの一つである。
清流を腰で支へて鮎を釣る 吉川美智子
電車の窓から鮎釣りをしている人を見ると、釣人は結構深いところまで行って鮎釣に夢中だ。腰で支えているという表現が景を彷彿させる。世の清流も支えて欲しいですね。
