選句コメント 9月

■土生 依子選‐1

・生ひたちのあめ色に透く蟬時雨     原田 豊子

生い立ちが単なる過去でなく甘さとほろ苦さを含んだ味と感じている。蝉時雨の濃淡。

・開くるたび過去が顔出す香水瓶    大江かずこ

若き日に誰かから贈られた香水瓶。もう使わないが捨てられぬものだ。思い出そのもの。

・板の間の素足小昼の厨ごと      原 とく江          

昔の厨は確かに板の間だったと思い出した。小昼の厨は涼しく素足は気持ちが良かった。

・代々の味噌が染み込む夏暖簾      朝倉 礼子

夏暖簾は本来涼し気な季語だが、味噌という重いものを配して老舗の様子を伝えた。

・夏野菜の色採アート子の弁当       井上 春枝

夏野菜のみずみずしい色が目に浮かぶ。子のために作りつつ、作者も楽しんでいる。

・炎天にバス待つ人の一人なり       吉成征一郎   

この酷暑外出を控えている人が多いのだろうが、やむを得ず炎天に耐えている孤独な姿。

・ごきぶりに窓付きの家進呈す             小島 七重

思わず笑ってしまったが、良質のユーモアのある一句。入ったら出られない家ですが…。

・山開き富士入山の有料談        髙山世里子

自然物である富士山に登るのが有料になった。賛否あるが夏山事故の無きを祈るのみ。

・砂時計梅雨の重さを計りをり      川上さちこ

砂時計はさらさらと落ちて時を刻むが、その砂が、梅雨の重さを計ると感じている感性。

・香水を絶ちてもうすぐ母になる     伊藤千恵子

母になる日の覚悟が伝わる。子を第一に考える思いを香水を絶つ行為で表出した。

■土生 依子選‐2

昼寝覚め心当たりの壁の傷        中瀨 由利

昼寝覚めの強い光は眠気の残る体には現実に引き戻されるような感覚がある。夢と現のはざまで、目に入ってきたものは白い壁の傷。どことなく孤独の影があり淋しげだ。

驟り雨一枚欠けし手塩皿         黄瀨 早苗

 驟り雨は、降りだしてすぐ止む驟雨のこと。手塩皿はもとは食膳の不浄を払うために塩を盛った小皿のことである。揃っていた大切なものが一瞬にして無くなる欠落感。

鳴き声の地を這つてくる牛蛙           山岸 康子

 どこの寺だったか忘れたが、牛蛙の声を聴いたことがある。低く太い声で、「ブオー」と鳴き、縄張りを主張したりメスを呼ぶのだそうだ。まさに地を這うような声だった。

料亭の黒塀守る夏椿               宮脇美沙子

神楽坂だろうか、京都かしらなど想像して楽しめた一句。そういう場所に確かにこんな景色がよく見られる。塀の黒さが花の白さを際立たせている。日本的な美の世界。

ざぶざぶと野菜に与ふ夏の水              加藤 れん

夏野菜の赤や黄や緑が鮮明に浮かんできた。新鮮な野菜に十分に水が掛けられることによって輝く。いかにも涼し気でおいしそう。この酷暑も乗り切れるだろう。

蛇行する湿原の川蛇の衣          安保 郁子    

蛇行する湿原の川は俯瞰すれば美しい景色だが、少し不穏な水の気配も感じさせる。蛇の衣も曲がりくねっていて少し不気味なところが響き合う。脱皮と再生のイメージ。

詰襟の応援女子ぞ滲む汗         安藤 修一

甲子園などの野球応援を思い浮かべた。詰襟は本来は男子が着るものなので、着慣れない女子が着て頑張っている姿が健気だ。応援している人をまた応援したくなる気持ち。

朝日差す放物線や早苗投ぐ        金田 英子

田植えの時期は朝から総動員で働くのだろう。早苗を投げたり、受け取ったりする時の様子を放物線と捉えた観察眼が鋭い。臨場感のある一句となった。

紫陽花は薄化粧して風待てり       菊池 祥子

この頃の紫陽花は色といい形といい新種がたくさん出ている。しかし原色の花はなく、みんな中間色である。そんな様子を薄化粧していると擬人化したのが面白い。

レジ横の花火や籠に缶酎ハイ          吉川 早矢

夏になるとスーパーのレジの横に花火が掛けてあり、買う気を誘っている。すでに籠には缶酎ハイも入っている。今夜はそれを飲みながら花火の夜を楽しもう。

然り気なく愚痴も突き出す心太         熊谷 うめ

心太という字は折れない心を暗示するような言葉である。誰に言うでもなく愚痴って、気を晴らすことができるのは心の強さだ。心太と共に、一気に突き出してしまおう。

■土生 依子選‐3

白南風の均しく渡る千枚田     おおもりじゅん子

能登の千枚田を想像したが、斜面に刻まれた田はさまざまな形をしているが、その田を撫でるように均しく白南風が吹いている。梅雨明けの明るい空の見える日本の原風景。

火の玉を吹きて生まるる玻璃涼し               峯岸 淡景

江戸風鈴を作る工房を訪ね、風鈴作りを体験したことがある。長い棒の先にガラスの玉を付け、息を入れて熱するのだ。火の玉が涼し気な風鈴に変わる驚きと感動。

梅雨深し雨の名多き国に住む              外川 真澄

梅雨時はなんとなく鬱陶しいが、そんな梅雨の底にいても、言葉を楽しむことのできる幸せ。菜種梅雨・五月雨・迎へ梅雨・走り梅雨・送り梅雨・夕立・白雨・青時雨…。

朝顔のすつぱい顔となる日暮れ             大木 達也

朝顔はすぐしぼんでしまい、皺くちゃの口をとんがらせたようになってはなはだ哀れだ。すっぱい顔とは言い得て妙。よく見た上で、想像の翼を広げている。

明易し旅の枕に鳥のこゑ             富田 町子

旅先では、枕が合わないのか、興奮して心が昂ぶってしまうのか、ともかく早く眼が覚めがちである。起きるにはまだ早いと思っていると心地よい鳥の声が聞こえてきた。

ご先祖の戸籍を解読梅雨の音           井手和保里

戸籍を解読とあるので、旧字体や古い地名、聞きなれない続柄などを苦心して読み解いているのだろう。梅雨の音という表現で家系や時間の重みが伝わってくる。

羽黒山門前町よ夏木札                 乙戸 紀代

羽黒山のふもとの門前町には参拝者を迎える町の雰囲気が今も残っているそうだ。夏木札は参詣の講中の札だろうか。古い木造の宿や軒先のしつらえ等が見えてくる。

便利さや怠惰流るる夏夕餉                金次 尚美              

 昨今は本当に便利な時代で、色々なものがレンジ一つで出来てしまう。その上かなり皆美味しいのである。暑さに疲れた気怠い夕ぐれに、少しの怠惰は許してもらおう。

砂壁の中でいただく新茶かな               髙橋 靜江  

砂壁という言葉一つで、いい茶室か、高級な老舗の料亭かしらと想像が膨らむ一句。新茶の薄緑を引き立てる色の壁だろう。いただくという慎ましさも魅力。

時鳥ソロの歌声森を越え                 多田みち子 

 時鳥の鳴き声は甲高く連続して聞こえ、聞きなしでは「特許許可局」とか「てっぺんかけたか」と表現される鳥だ。

耳を傾けて一羽の歌声に集中していそうだ。

うしろ姿まつすぐにして白日傘                前沢 博子

 モネの日傘をさした女の絵は横向きで薄緑の傘をさしているが、この句は白日傘のうしろ姿だ。得てして背中はその人の生きる姿勢も感じさせる。まっすぐにがいい。