選句コメント 8月

■土生 依子選‐1

雑念の答あるなし心太             横尾 紀子

浮かんでは消え、消えては浮かぶ雑念。すうっと喉を通り抜けていく心太のようだ。

言訳は真紅の薔薇と引きかへに              目黒 洋子

何か大切な母の日とか誕生日とかを忘れてしまったか。言訳をせず贈る薔薇の深紅。

晩学やふかくせまくの破れ傘            川前  明          

晩学は、もう広くは難しそう。しかし晩学故の深さは追及できるだろう。自嘲と自負。

白寿展白亜の壁に薄暑光             高山 素子

作者のお父様が画家で故郷唐津で白寿展を開かれた。益々の健康とご活躍を祈りたい。

使はないアプリばかりや梅雨じめり        代永 啓子

スマホには何のアプリだか解らないようなものも並んでいる。梅雨の鬱陶しさと重なるように。

鵜飼果て無言の帰路の遠きかな        清水 智明    

「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」という句を思い出した。旅の終わりのアンニュイ。

新緑の森のふくらむ鳥の声           山 ふみを          

新緑の緑は透き通るような若緑。その上鳥の声まで加わると、その爽やかさは極上だ。

梅雨じめり畳の縁のくすみをり         小野沢 吉

梅雨のころの季節感を、触覚と視覚でとらえた一句。縁と細部まで詠んだのがいい。

木下闇風の噂の駆け抜くる           川上さちこ

暑さを抜けて木下闇に来ると一安心。ベンチで噂話も始まるか。風の噂としたのがいい。

雨しとど雨を見つめて烏の子        井上 妙康

嫌われ者の烏だが、その運命を憐れみ慈しむような、優しい作者の目をも感じる一句。

■土生 依子選‐2

なめくぢり表通りに縁はなし            吉川 早矢

なめくじりは、じめじめした目立たない湿地にいる。農作物や草花を食べてしまうので、全くの嫌われものだ。弱者への労りの目と同時に、自己の姿も少し投影させたか。

朴落葉ここぞと踏むか十六文            熊谷 うめ

 朴落葉は夏落葉で、六月から七月に収穫されるとか。十六文は約三十八センチだが、巨人の足のようで、大きく厚みがあり、いかにも踏みごたえがありそうだ。

  雑念は一枚づつ剝ぐ夏蜜柑           鈴木 孝子

 雑念は、思わぬ時に湧いてくるので厄介な代物だ。夏蜜柑も、冬の蜜柑とは違って皮が固いので一枚ずつ剥がすようにして食べる。そのちょっとした共通点をうまく捉えた。

 人悼む言葉言ひたげ百合開く         武藤佐枝子

人を悼む時よく使われる花が、菊か百合かカーネーション。しかも皆白い花を選ぶ。百合は莟が開くとき、口を開くような形になるので、まさに何か言いたげである。

想ひ出をがばり持ち去る卯波かな           石川よね子

卯波は、卯の花の咲く晩春から初夏にかけて、季節の変わり目の低気圧の通過に伴って立つ波のこと。激しい波になることもあり、大事な思い出が攫われてしまいそう。

ひと眠り赤子に還るハンモック            勝山美代香    

緑の深い避暑地などで、時々木の間にハンモックを結んで昼寝をしている人を見ることがある。まだ経験したことはないがそんなリラックスした時間を持ちたいものだ。

ふくれ面ほどきて受くる大夕焼            加藤 れん

子供が自分の思いを通せなくて一時ふてくされていたが、きれいな夕焼けを見て気分を直したのだろう。大夕焼けに親子共々包まれて幸せな時間を取り戻している。

青春の吐息の色のソーダ水              川嶋 克弘

青春というものは過ぎてから良さがわかるという歌詞の歌があるが、その只中にいるときは至極不安なものだろう。

赤や緑の独特な色合いも、どこか吐息のように切ない。

青蛙雨の一日を呼んでゐる              小西 雄子

「青蛙おのれもペンキぬりたてか」という龍之介の俳句があるが、濡れてこそその青さが光りそうだ。空梅雨や梅雨の中休みの日には恵みの雨が恋しくなる。

前カゴの弁当鳴つて夕薄暑                   渡邊      多

自転車で帰路を急いでいるのだろう。お弁当箱は空になり箸が音を立てている。夕方はひと日の務めを終え、疲れも出る時間帯だ。本格的な夏は先だがうっすら汗をかく。

■土生 依子選‐3

陵を見放くる丘に青嵐                     峯岸 淡景

陵は天皇陵、皇后陵などの墓所。今作者はそれを遠くの丘から眺めているのだ。歴史を懐古していると、気持ち良い青嵐が吹いてきた。万葉集の世界に誘われるような一句。

故郷も源氏も寄する紅の花              前沢 博子

作者の故郷は山形だろうか。紅花が咲くといつも故郷のことが懐かしく想われるらしい。と同時に紅花は末摘花の別名。故に『源氏物語』を思い出すのだ。読書家の一句。

トンネルの切れ間も青葉外房線            川村 尚子

外房線は、千葉から房総半島を横断し、鴨川へ至る路線。まだ乗車したことがないが、いくつもトンネルがあるのだろう。万緑の中を一緒に旅をしている気分になった。

洗髪の寂しさ渉る水痛き         おおもりじゅん子

女性は寂しい時、気分を変えたい時などに、髪を洗ってすっきりする。そんな時は水圧もこころなしか上げて、しまう。少しの痛みが寂しさも流してくれそうだ。

用水の巡回当番花菖蒲                 平本  牛生

花菖蒲が咲く梅雨時は、用水路の水量を確かめたり、流れが草などで妨げられていないかなど巡回は大切。花菖蒲という美しいものと生活的な行為との取り合わせがリアル。

子を畔に降し早乙女たすき掛け          大木 達也

小さい子を持つ若い早乙女もこの時期は駆り出されて田植えをするのだろう。たすきを掛けて一役を担おうとする早乙女の意欲が伝わってくる。映画の一齣のような一句。

出口なき雑念の迷路梅雨に入る                神田富士子

まさに雑念は扱いにくい代物ですね。自分の意志に反して忍び込んでくる。梅雨もまた鬱陶しいもので、いつ梅雨明けするか不確かだ。いずれも迷路にいるような感覚。

 卯波寄せアイミスユーの文字を消す     佐藤    亘              

 「砂に書いたラブレター」という歌を思い出したが、これは失恋ですね。過去の思い出か、イマジネーションの世界かはわからないが、人生ケセラセラで前向きに生きたい。     

ふるさとがまるごと届く粽かな       髙橋 静江 

遠くに故郷がある方は、そこを思い出すいろんなものがあるのだろう。祭であったり、特産物であったりするのだろうが作者の場合は粽がそれだ。「まるごと届く」がいい。

  薔薇の棘表の顔の盾になり           多田みち子 

 薔薇の表の貌は華やかで美しく、情熱的でさえあるが、一方棘という恐ろしいものを持っている。その棘は表の顔を守る盾となっているのか。人間にもある裏表をふと。

子の背丈伸びて出し入れ更衣           田山 実相

衣更えの時期が来た。来年も着られるだろうと、しまっておいた洋服を出して子に合わせてみると、もうサイズが合わない。改めて子の成長の早さを思わされている。

本堂に警策の音夏浅し                             藤田 瑞江

警策は、禅寺で座禅の時に惰気・眠気をさませるため打つのに用いる扁平な棒状の板のこと。静かな本堂に警策の音が響いている。本格的な夏に備えて心身を引き締めている。